【働き方】意図せず出会った静岡の街が、かけがえのない故郷に。

やさしく、あたらしく、あなたらしくなれる社会を目指して、未来の地域社会がどうあるべきかを考え、行動するNPO法人ESUNE。未来志向の対話の場「フューチャーセンター」の運営支援をはじめ、静岡を舞台にさまざまな活動を行っています。代表の天野浩史さんは、根っからの静岡ラバーかと思いきや、実は静岡とのファーストコンタクトは意外なものでした。

来たくなかった静岡

――NPO法人の活動内容を拝見すると地域に密着している感じがしますが、静岡とのゆかりについて教えていただけますでしょうか?

はい。出身は愛知県岡崎市でして、静岡には2010年の静岡大学入学をしてからの関係になります。なので来年(2020年)で10年目になります。

――そうなんですね。てっきりご出身も静岡かと思っていました。静岡には自分で望んで来たということでしょうか?

それが、全然なんです。むしろ地元の方が好きでした(苦笑)。僕はもともと高校の物理の先生になりたくて、物理学科のある大学を受験していました。ですが名古屋大学の理学部は残念ながらダメで、後期試験で受けた静岡大学に入学した、というのが本当のところです。浪人も真剣に考えたんですが、地元が好きなので実家から通えるところを……と思って静岡大学に決めました。でも静岡大学の理学部は、岡崎に近い浜松にあると勘違いして、あとになって静岡市の方にあると知り、受験のときも親に車で送ってもらったりして大変でした。初めて来たときには、友だちもいないしすぐにでも帰りたかったくらいです。

――それが静岡との最初の関わりだったんですね。第一印象はいかがだったでしょうか。

最初はネガティブな気持ちでいっぱいでしたね。だいたい、静岡大学の場所も静岡市の中心からは遠いし(笑)。でもそんな感じで始まった大学生活ですが、先輩から誘われた棚田の保全サークルに入ったことで、考えが大きく変わりました。最初はサークルの人たちや地域の人たちとのふれあい自体が面白かったんですが、地域の人たちと関わっていくうちにまちづくりに興味を持つようになりました。
ちょうど大学2年の終わりのころですけど、「これからの人生、どうしようか」って真剣に考えたんですね。サークル、物理の研究、教員免許のための単位の取得と忙しい日々だったんですが、そこで「教員じゃなくてもいいんじゃないか?」ってはじめて思い始めたんです。

――教員免許のための単位って大変ですし、理系だと実験や研究も忙しいですしね。

そこで、「まちづくり」を仕事にできないかって考えたんです。それからいろんな場所に出かけて、いろんな人に会ったり話を聞いたりしました。Facebookもはじめて人脈も増えました。そこからだんだん面白くなってきて、3年生から4年生にかけては、もうすっかり教員よりまちづくりのほうに気持ちが行ってましたね。

――なるほど。なので現在は教員ではなくNPO法人の代表なのですね。

そうですね。ですがいきなりNPO法人の代表というわけではなく、地域課題に人手不足というのがあるのも知っていたので求人情報を扱っているメディアに就職して沼津に引っ越しました。そこから求人広告の営業を1年ちょっとやって、静岡市の企画部門に異動。ここではU・Iターンや採用に関する新規事業の立ち上げにかかわりました。求人広告って人と人をつなぐ仕事で、これは今にも活きていますね。

まちづくりと教育

――会社員から現在のNPO法人の代表になるまではどういった経緯だったのでしょうか?

平日は会社の仕事をやって、土日に棚田の保全活動を続けていました。これがけっこう大変で、ほかにも会社の仕事で週2回三河エリアに行っていた頃は、まちづくりのファシリテーターも同時にやっていて本当に忙しかったです。その時、将来のことを自分自身に落とし込んで、本当にやりたいことをやるために入社3年目の冬に退職しました。
そして、2017年にNPO法人を立ち上げて、地域での活動をスタートしました。ESUNEの設立は2013年ですが、法人化は2017年です。

――「まちづくり」というと華やかなイメージがありますが、実際にはいかがでしょうか?

実際には泥臭い地道な仕事が多いです。地域活動や社会課題解決を通じてお金を稼ぐことがいいのかどうか、という意見もあります。なので僕自身「東海若手起業塾」という支援プログラムに通ってビジネスとしてきちんとやっていくことを学び、2018年からそれを実行に移しています。例えば、企業の新人研修を受け入れるための教育プログラムを提供したり、日本平動物園にどうやって新しい顧客を呼び込むかという課題を、まちのプロジェクト化して市民から仲間を募ったりしました。
日本平動物園の事例では、「普段動物園に来ない層を高齢者と仮定して、どうしたら呼ぶことができるだろうか」と課題を設定して、仕組みを考える人を募集したら介護福祉系の企業で働いている方や学生から応募があって、そこから「ZOOリハビリ」という取り組みが誕生して仕事になったということもあります。
最近は、「無店舗型のワイン屋さんのアイディアを考えてくれる人」と募集して、社会人3人と静岡大学の学生3人が応募してきてくれて、社会人のうち一人が花屋さんだったので花屋さんとワインバーをコラボした「どこでもワインバー」という企画を実行したりしています。
会社勤めの人でも仕事帰りや休日に参加できたり、学生も気兼ねなく加わったり、とにかく、多彩な人が参加できる枠組みを作ってビジネスとしてのサイクルを回していきたいですね。


▲「ZOOリハビリ」の様子

――困りごとと人とをつなぐというのは、まさに求人メディアでの経験が生きていますね。まさに充実、という感じですが、最初は「来たくなかった」という、10年前の静岡の印象は変わりましたか?

今では、静岡以外で生きていくイメージを持てないくらい、静岡が好きになりました。地元の岡崎に帰ると、ちょっと違和感を覚えるくらい(笑)。静岡は、僕にとって人の顔が見える街なんです。大学で棚田保全やまちづくりを一緒にやった先輩や、同期のおかげで今がある、とはっきり感じます。静岡には僕が一緒にいたいと思う人、僕を必要としてくれる人がいる街。街があって僕がいる、そう思える街になりました。
ゆるいコミュニティがたくさんあるので、どんどん参加していくことで人と地域とつながっていける。一般的なコミュニティはどうしても囲い込む方向に行くことが多いですが、どんどん参加できる、これは静岡の美点だと思いますね。

――今後の目標を教えてください。

東京に大正大学という大学があるんですが、ここが4年前に「地域創生学部」を作りました。首都圏の大学に地域創生をうたった学部ができるのは、おそらく初めてじゃないでしょうか。昨年から大正大学の非常勤講師として関わることにもなったので、教える立場として地域に関わっています。さらに来年からは静岡大学の大学院で「地域と教育」をテーマに研究することにしています。地域を消費するのではなくて、教育との関わりでもう一度地域が紡がれていく。そういう取り組みをしたいですね。

最初は何の思い入れもなかった静岡が好きになり、いまでは静岡を舞台に県内外で活躍される天野さん。大学で教える立場もなされているということで、巡り巡って教員という立場から教育に関わるというのもどこか運命の巡り合わせのようです。思いを持って活動していると自ずと繋がっていくものなのかもしれません。
(文=深水央、写真=窪田司)