静岡県長泉町を拠点に、建築家として活躍しているGO_ANの近藤剛さん。
建築家を志した経緯、県外に進学して静岡に戻ってきた理由、今後の展望について伺いました。
――建築家になろうと考えたのは、いつ頃からでしょうか?
父親がもともと工務店を営んでいたので、子どもの頃から建築は身近な存在でした。
高校生になって進路を決める際には、迷いなくこの道を選んでいましたね。
大学は栃木県の足利工業大学に進学し、地元に帰りたいと思い
静岡県中部にあるナカノ工房に就職しました。
就職したときから将来的には独立しようと考えていて、そのためにもまず、
設計事務所で働き、実力をつけようと思っていました。
――事務所に勤めているあいだに、バックパッカーとして“世界巡礼の旅”に出られたそうですね。
旅に出ようと思ったきっかけは何でしたか?また、海外の建築物を見て感じたことを教えてください。
学生時代から建築家の安藤忠雄さんが好きで、当時の建築家たちはこぞって
シベリア鉄道でヨーロッパに渡り、建築を見て学ぶという流れがあったんです。
自分もそれに憧れていて、いつかは行きたいとずっと思っていました。
貯金がある程度たまった29歳の時に、事務所にお願いして半年間お休みをいただき、旅に出かけました。
どれも良かったので、どれが一番とは言いがたいですが…影響を強く受けたのは、
北欧の建築家・アルヴァ・アールトですね。建築の中に自然の光や風をうまく取り入れ、
明るい雰囲気が感じられる点が特徴です。
スペイン北部の、力強くて有機的なデザインを作るガウディの建築物も良かったですよ。
海外に行って驚いたことは、彼らはこぞって、“自分の国やまちを愛している”と表現することです。
日本人には、その文化や風習ってあまりないですよね。
でも、日本の建築物は木材を豊富に活用するなど、日本にしかない良さがあるんです。
だからこそ、日本の文化や建築をもっと深めていきたいなと感じましたね。
――その後日本に帰国後しばらくして、独立されたわけですね。
最初の活動拠点を三島にした理由を教えていただけますか?
“海と山に囲まれて設計をしたい”と思ったからです。
西伊豆あたりも検討しましたが、借りられる倉庫があるなど、ご縁もあってこの土地にしました。
静岡県東部は特に、僕にとってインスピレーションが湧く場所なんです。
伊豆から箱根、富士山の一帯をドライブしているだけで、
“ここに建築物を建てたい、この土地はいくらだろう?”と、自然と色々なアイデアが湧き出てくる。
土地も広くゆとりがあって、魅力的ですよね。
県外に進学しても静岡に戻ってきたのは、この土地が自分にとって、
居心地の良い場所だったからだと思います。
海の幸が豊富で食事が美味しく、東京にも気軽に足を運べる。
実際に、今も横浜のクライアントさんも担当させてもらっていますが、
仕事をしても日帰りで帰って来られます。
住みやすくて仕事もしやすい、ベストな環境だと思っています。
最初は三島からはじめましたこの仕事ですが、今は長泉町に事務所兼モデルハウスを作り、
自社で設計したドットツリー修善寺にサテライトオフィスを構え、多拠点で活動しています。
▲設計は近藤さんが行い、インテリアのご提案は奥様が行っているそうです
――最後に、今後の活動の目標を教えてください。
今は依頼をいただいて、事務所・店舗・住宅の設計をさせていただいていますが、
今後は都会と違う暮らしが体験できる、バケーションレンタルも展開していきたいと考えています。
宿泊施設を一棟貸しして、ワーケーションや、休み時間を満喫していただけたら良いですね。
その中で、自分の目指す“日本らしい建築”も表現していけたらと思っています。
最近地方への移住が話題になっているようですが、個人的には、
“移住=都会に住む人が地方に移り住むもの”という構図はもったいないなと感じていまして。
例えばですが、ある国家資格を有する方が集まったり、クリエイターの方が集まる村など、
そんな移住があると、もっと“暮らす”ことが面白くなるかもしれませんね。
世界中の建築を見てきたからこそ、日本の、そして静岡の良さを実感したという近藤さん。
今後の活動や、設計される建築物にも注目が集まりますね。
GO_ANさんの活動については、こちらをご覧ください。(https://goanhome.com/)