【移住者インタビュー】縁もゆかりもなかった関西出身のふたり。静岡と出会い、暮らすなかで見えてきたものとは。

静岡駅周辺に住居を構える青木真咲さんと阪口瀬理奈さん。青木さんは株式会社Otonoの代表取締役社長をつとめ、阪口さんは静岡経済研究所のメンバーとして活動する傍ら、ふじのくにICT人材育成プロデューサーとして活動しています。そう聞くと静岡と深い関わりがありそうですが、実はふたりとも、大学時代までずっと関西で育ってきた、生粋の関西人。そんなふたりが静岡を訪れ、移住を決意するまでに至った経緯は何だったのか。その裏に潜む想いを伺いました。

仕事中心だった会社員時代

――はじめに、お二人の関係性について教えてください。

阪口さん:青木とは中学、高校、大学まで一緒でした。いわゆる“腐れ縁”ってやつですね。高校までも友人の一人ではありましたが、そこまで仲が良かったわけではなくて。大学で同じ部活に入ったことで、一気に距離が縮まりましたね。

青木さん:大学では、アメフト部のマネージャーになりました。チームの運営や組織づくりを中心に行っていたので、仕事みたいなことを学生時代から経験させていただきましたね。阪口とは仕事仲間のような感覚が強く、お互いにとってよき理解者でした。

▲大学時代

――大学卒業後、バリバリとお仕事をされていたようですね。どんなお仕事をされていましたか?

青木さん:日本経済新聞に入社し、新聞記者になりました。配属は東京の、株式の投資情報を扱う部署でした。名の通った企業の代表に出会う機会も多く、刺激とやりがいに溢れていましたね。ただその反面で、自分のやりたいことは一攫千金の投資情報を届けることだろうか?という悩みも抱えていました。会社と自宅の往復で、仕事が生活の中心になっていました。

阪口さん:私も入社時の配属で上京しました。シンクタンクの三菱総合研究所に入社し、IT関連の調査が主な業務でした。新しいトレンドやIT政策に関わるプロジェクトに携わることができて、面白い仕事でした。ただその分、青木と同じく、平日は家に帰るのも遅く、自炊をすることもなく、食事は外食ばかり。そんな日々を送っていました。

――大変な日々を過ごされていたんですね。そんな中、静岡に移住を考えたきっかけは何でしたか?

青木さん:4年目の異動で静岡に来たことですね。静岡に訪れたのは初めてだったのですが、何だかとても気に入って。想像していた普通の地方都市とは、良い意味で違っていました。街全体が綺麗だし、空が明るくて、人々は活気に溢れている。商店街に行くと、地場のお店がたくさん出店していることにも驚きましたね。簡単に言うと、「豊かな街なんだな」そう感じました。静岡への異動は期限付きだったので、いつか東京へ戻ることは決まっていたんです。任期が近づくにつれて、東京に帰って大企業の中で働くよりも、静岡にいた方が豊かな生活が送れるのではないか?と思うようになりました。そして、2017年3月に退職しました。

阪口さん:私は青木が退職した後もまだ、同じ会社で仕事を続けていました。相変わらずの忙しい日々で。そんなとき、静岡に住んでしばらく経った青木と連絡をとる機会があったんです。自由にのびのびと暮らす話を聞いて、純粋に「いいな」と感じましたね。それからしばらくして、退職することが決まって。その時点ではまだ、静岡に住むことは決めていませんでした。でも静岡に来て過ごしてみるうちに、気づいたら静岡の虜になってしまった(笑)退職から4ヶ月後に、自然な流れで静岡に移住することを決めました。

静岡という新天地での生活

――知らない土地で一から始めることを決意されたわけですね。今のお仕事はどんなきっかけで始められましたか?

阪口さん:ありがたいことに、人からのご紹介が仕事に繋がっています。私は今、複数の肩書を持ってお仕事させていただいています。「ITで課題を解決する」ということを軸に、静岡経済研究所ではICT政策や、IT人材育成に関する調査を行っています。兼任している静岡県産業振興財団では、ふじのくにICT人材育成プロデューサーとして、ICTに関する人材の確保・育成や企業間連携に向けたアドバイスをさせていただいています。

青木さん:「静岡はいい土地なのに、知られていなくてもったいない」という想いが強くありました。以前の私のように、東京での生活に疲れている人に知ってもらいたいと考え、何か形にしたいと動いていました。そんなとき、”ドラマ型の音声で、場所が持つストーリーを伝える”というコンセプトの事業立ち上げに誘われ、「これだ!」と直感したんです。なんとか会社設立にこぎつけ、その後代表取締役に。もちろんプレッシャーもありますが、外から来た私だから伝えられることがあると思い、日々の仕事に取り組んでいます。

▲株式会社Otonoメンバー

――静岡に住んでみての生活はいかがでしょうか、何か変わりましたか。

阪口さん:良いことばかりですよ!生活の質が格段に上がりました。人として当たり前のことかもしませんが、3食きちんと食べてしっかり睡眠時間をとり、歩いたり運動したりする時間が確保できるようになりました。自炊するようになって体調も良くなり、目の下のクマも消えましたね。それに、年収は減ったはずなのに、会社員時代よりも貯金ができました(笑)いかに無駄な支出ばかりだったかと反省しますね。こうして振り返ると、「便利なことが必ずしも幸せに繋がるわけではないな」と痛感しますね。

青木さん:本当にそうですね。東京は機能的で便利でしたが、どこかバーチャルな世界だったように感じます。欲しいものはなんでもコンビニや通販で揃えられるから、誰かと会話する必要がない。通りすがりの人が何か困っていても、見て見ぬふりが当たり前。この街に自分は必要とされていないんじゃないかってふと感じることも多くて。反対に静岡には、東京にはない豊かさや、人間らしさがあるなと感じます。仕事でも日常生活でも、「自分が必要とされている」という実感が持てるんです。“あの人最近見かけないけど元気かな?”と心配したり…生きているだけで、ちょっとした幸せが積み重ねられる街だなと思います。

阪口さん:それから、顔が見える仕事ができるところも良い変化だと感じています。前はすごく大きなプロジェクトや数字に携わっていたけれど、どれもリアリティがなかった。今だったら、例えば工場の社長さんに話を伺って、その人のために、何かできないかを考える。数字ではなく、一人ひとりと向き合って仕事ができているなと実感しますね。

▲青木さんが静岡で好きな風景(澄みわたる青空と富士山)

▲阪口さんが静岡で好きな場所(清水港ー三保間の水上バス)

移住先としての静岡と、これから

――移住を考えている人にとって、静岡はどんな場所でしょうか?

青木さん:土地によっては、外から来た人を排除する文化が根付いているところもあるっていいますよね。静岡の人には、そんなところが全くないところが良いなと思います。関西出身の私を偏見もなく受け入れてくれ、頑張ってと応援してくれる。すごく良い文化ですよね。

阪口さん:それわかる。出張や転勤で人の出入りも多い土地なので、外の人に慣れているのかもしれないですね。それに、純粋に暮らしやすい街だなとも感じています。少し歩けばスーパーにも薬局にも行けるし、洋服だって買える。こんな便利な街、なかなかないですよ。

――最後に、今後の抱負や目標についてお聞かせください。

阪口さん:お仕事をさせていただく中で、優秀な方が多い街だと感じています。それなのに、そのことに気づいていない方が多いことがもったいないな、とも感じます。例えばエンジニアを探している企業さんが、すぐに東京から人を呼び寄せようとしたり、反対に優秀な学生さんが、静岡では活躍できないから、東京に行こうとしてしまったり。そんな方々を繋いで、静岡県内で良い循環を生み出していくお手伝いをしたいと考えています。

青木さん:静岡で事業を立ち上げたので、この場所で出来ることをたくさん形にしていきたいですね。常に街や社会の課題と繋がりながら、自分にできることを静岡に、社会に還元したい。これからどんどん、住む場所は自ら選ぶ時代になってくると思うんです。「静岡は自分らしく生きられる選択肢がたくさんある場所なんだよ」ってことを、一人でも多くの方に知っていただける事業を展開していけたらと思っています。

今後の抱負や目標を、生き生きと語ってくれた青木さんと阪口さん。その表情に、そして言葉に、今の生活の充実度が溢れていました。活躍するフィールドは違っても、静岡を愛する気持ちは同じ。ふたりの想いに共感し、静岡に移り住む人がきっと増えていくことでしょう。

(文=藤田 愛、写真=静岡移住計画)