【移住者インタビュー】森の中での自然保育を通じて玉川の暮らしを引き継ぐ。

静岡市内から車で30分ほど走らせたところにある玉川地区は、静岡県の北部にあるお茶や林業で栄えた地域。都会からのアクセスもよいため、ここ数年家族での移住を検討する人が増えているそう。そんな玉川地区で2歳のお子さん、あかりちゃんを育てながら『自然保育 森のたまご』をはじめられた原田さやかさん。株式会社玉川きこり社を立ち上げ、玉川地域を盛り上げ続けているさやかさんが、どのようなきっかけで『自然保育 森のたまご』をしようと思ったのでしょうか。

「限界集落」がはじまり

――まずはさやかさんのご出身地と、静岡に来たきっかけを教えてください。

私の出身地は愛知県豊橋市です。大学進学をきっかけに、静岡県にきました。実はずっと写真家になりたかったのですが、両親に大反対されていて。でも、どうしても我慢できず、大学3年生の時、イギリスへ渡り写真について学びました。大学卒業後は、静岡市内のフォトスタジオに勤務し、その後フリーランスのカメラマンになりました。

――玉川地区との出会いは、フリーカメラマン時代でしょうか?

その後ですね。フリーカメラマンをしばらくした後、静岡の地域情報誌「すろーかる」に所属しました。そんな時、テレビで「限界集落」という言葉を初めて知ったんです。それまで「山に住む」という感覚が全くなくて、すごく衝撃を受けたのを覚えています。静岡にも限界集落があるなら、自分の手がけている情報誌を通じて、何かできないかな?と思うようになりました。そんな時に紹介してもらったのが、玉川に住むおばあちゃん、岩崎さんでした。お家に遊びにいってみると、それはものすごい山奥で(笑)。でも、家の隣には茶畑が広がり、庭には梅の実がなっていて、自然と共存している暮らしをなさっていました。その景色を見た時に、なんて美しい暮らしなんだろうって感動したんです。その頃の私は、徹夜続きで、3食外食は当たり前。仕事一筋で、この玉川地区で生活をするなんて考えたこともありませんでした。ですが岩崎さんや玉川地区から与えていただくものが本当に多くて、だんだんと「この玉川の暮らしを、魅力をたくさんの人に伝えたい」って思うようになりました。

▲岩崎さん

――素敵な出会いですね。その時に立ち上げたのが、「安倍奥の会」ですね?

はい、そうです。2008年に「安部奥の会」を結成しました。メンバーには、玉川の住民はもちろん、静岡市内の方や学生さんなどもいました。「流しそうめん祭り」というイベントをしたり、地域の情報をまとめた「玉川新聞」を発行したり、玉川の魅力を伝える活動を続けました。地域の人は「こんなところ、何もない」っていうんですが、私から見たら宝物がたくさんです。だからこそ、地域の人に玉川の魅力を再確認してほしい、そして外の人にも玉川を知ってほしいという思いで活動を続けていました。でも、イベントや新聞を続けていても、玉川地区の人口は減っていく一方です。この状況を変えるためには、本気で村と向き合っていかないといけないと思うようになってきました。

玉川の文化や暮らしを受け継ぐ

――強い決心ですね。玉川地区と本気で向き合うために、さやかさんはどうしたんですか?

玉川に住む人を増やすためには、まずは仕事が必要だと考えたんです。でも、どんな会社をしたらいいか正直悩みました。そんな時、玉川が元々は林業で栄えた地域であることに気がつきました。見渡す限り一面にある木々が、玉川の一番の資源です。そこで、2014年に林業を主体とした株式会社玉川きこり社を設立しました。

――素晴らしい行動力ですね。『自然保育 森のたまご』はどのようなきっかけで始められたのでしょうか?

もともと玉川きこり社は、「きこりと子育て」というテーマを掲げています。かつてあった玉川保育園は20年近く前に閉園していたこともあり、玉川と出会った頃から森のようちえんのような保育園を創れたらという夢を描いていました。ところが、子育て経験のなかった私にとって、保育園設立はまだまだ机上の空論だったように思います。ですが、2016年に結婚し、娘を授かったことで子育てが現実になり、保育園という環境を身近に感じ、娘と一緒に夢を実現できたらと思うようになりました。
また、子育てをしていく中で、自分の価値観もガラリと変化していきました。玉川きこり社では、仕事一筋でしたが、出産後は暮らすことをもっと大切にしたいと思うようになりました。育休中に林業が盛り上がってきたこともあり、子育てに関することに専念しようと玉川きこり社を退社し、『自然保育 森のたまご』をはじめることにしたんです。

――『自然保育 森のたまご』は、どんな幼稚園なんでしょうか?

子どもたちを大自然の中で遊ばせながら、親同士で自主保育をする団体です。娘が生まれ、自然の中で一緒に遊んでいると、彼女の発想力や行動力に驚いたり、感動したりすることがたくさんあります。おもちゃは限られた遊びしかできませんが、大自然の中での遊びは無限大です。大自然で遊ぶことが、子どもたちの成長にとって非常に大切なのではと思うようになりました。
友人の中にも、私と同じように「森のようちえん」に興味を持つ人が増えて、仲間たちと色々話し合い、2019年の4月からはじめたのが『自然保育 森のたまご』です。

――大自然の中で子どもを遊ばせるなんて、すごく素敵ですね!具体的に、どんなことをしているのですか?

現在は、週3回ほど活動をしています。専任の保育士などはおらず、お母さん同士で子どもたちを見合っています。森の中をお散歩したり、夏は川遊びをしたり、子どもたちと一緒にご飯を作ったり、焼き芋をしたり、自然のなかだからこそできる色々なことをしています。都会の保育園だと、0歳や1歳児はほとんど外に出ないと聞きました。正直、とてももったいないと思います。玉川にはカエルもいれば、虫もいます。大自然だからこそ出会える生き物と触れ合い、感受性を刺激し、生きる力を身につけてもらいたいと思います。
また、来年からは田んぼと畑も始はじめます。子どもたちにも体験してもらう予定です。

――どんどんとやりたいことを実行に移している感じがしますが、これからの目標はどういったものでしょうか?

きこり社を立ち上げた時は、村に雇用がないと移住者が増えないと考えて、株式会社にしました。現在、6人の従業員がいて、30代が中心に活躍してくれています。こうした若い世代が山の文化や産業を引き継いでいってくれると信じています。
子どもを産んだ今は、玉川が子どもの声がする地域になってくれたらなぁと思っています。そのために、気軽に子ども達が集まれるような公園や図書館なども作っていきたいなぁと考えています。そして、地域の人々と子育てをしながら、玉川の文化や暮らしを受け継いでいきたいと思います。

穏やかな笑顔で語られるさやかさんの経歴を列挙すると、そのバイタリティにひたすら感動するばかりです。でも、「安倍奥の会」を立ち上げ、株式会社玉川きこりを設立し、『自然保育 森のたまご』を主宰。その行動力の根底にあるのは、「玉川が好き」という、どこまでもピュアで真剣な思いだけ。そんなさやかさんの想いが求心力となり、玉川に移住する人が今後きっと増えていくことでしょう。
(文=市田里実、写真=窪田司)