【移住者インタビュー】公認会計士を辞め静岡移住。目指すは多様な居場所づくり。

2019年4月、静岡市葵区安東に誕生した『いちぼし堂』。保育園・コワーキングスペース・レジデンスという「職・育・住」一体型の施設として、新しいチャレンジを始めたばかりです。責任者の北川信央さんは輝かしい経歴を持ちながら、20代後半に地元静岡へUターン。家業の工場改善から見えてきたこと、そして『いちぼし堂』で実現したい未来とは―。

潜在資産を顕在資産に

――まずは北川さんの出身やキャリアについて教えてください。

出身は静岡市清水区で、京都大学経済学部に進学して、卒業後は公認会計士として監査法人に入り、東京で働いていました。静岡に戻り、家業に入ったのが27歳のとき。家業は曽祖父が創業した製材屋で、今年で創業87年になります。清水は港があるので、木材を輸入して板にする仕事をしていて、それから建具を量産する工場になり、父の代で人材ビジネスを始めて、北川グループとして4つの会社があります。今は母が社長を務め、僕の新規事業として『いちぼし堂』を立ち上げたところです。

――東京で公認会計士ならエリートと言えそうですが、なぜ静岡に戻られたのですか?

もともと家業を継ぐことは考えていなかったのですが、僕が20歳で成人式の日に父親が急に他界したことがターニングポイントになりました。母が専業主婦から社長になり、リーマンショックも乗り越えました。だから、いつか静岡にという気持ちが芽生えていた中で、東京では多くの人が同じように見えて、会計士の仕事も何か違う気がして、7年前に帰郷を決断しました。

――大きな決断ですね!最初はどんな仕事をされたのでしょう?

最初の5年は、工場の立て直しを重点的にしました。40~50名くらいの町工場で、残業が多く雰囲気がピリピリして、人手不足に陥っていた。うちの工場では単純な業務が多く、属人化していた業務を標準化すれば誰にでもやってもらえるのではないか、ならば60歳以上のシニアの方を採用してみてはどうかと考えました。社内外から「簡単にできるわけがない」「危ない」という声もありましたが、カイゼンして業務を細分化し情報を行き届かせる仕組みを作って、シニア採用をスタート。今では6割以上がシニアで、60~80代の方が現場を回してくれています。一方、7年前に僕と一緒に入った高卒の女の子たちがリーダーになり、朝のミーティングは若手の女性や男性、60代などさまざまなリーダーがいます。

――素晴らしい改善ですね。

シニアの方が仕事を続けてくれて、居場所になっているのがうれしいんですよ。一時期は八百屋みたいに野菜を売る人や、会社の片隅で何か育てている人もいたなあ。

――そして、『いちぼし堂』の事業に移られたのですね。

居場所を大切にしたいという想いで立ち上げました。工場と『いちぼし堂』の共通した考えは、まちのため、そして潜在資産を顕在資産にすること。ポテンシャルになっている価値あるものをちゃんと表に出していきたい。それはシニアの方、育児と仕事を両立しようというお母さん方、静岡自体もそうかもしれない。たくさんある潜在資産を顕在化していくこと、まだ評価されていないものを「これ、めっちゃいいんだよ」というようなことが僕は好きだなあと思っています。

多様な価値観の集まる場に

――家業が木材加工業さんということもあって、『いちぼし堂』は木がふんだんに使われていて、気持ちのいい施設ですね。

今年4月にオープンしました。1階が保育園、2階がコワーキングスペース、3階はレジデンス、つまり住居、そして屋上がテラスになっています。「多様な居場所をともに育む」というビジョンのもと、多様な働き方や生き方、学び方などのレシピを創り出していくことを目指しています。
いちぼし保育園に関しては、園長先生と一緒に理念づくりをして採用が進み、16人のスタッフと13人の子どもが来てくれています。

――2階のコワーキングスペースと3階のレジデンスはどんな方が?

2階はうちのスタッフさんとコワーキングの会員さんがいて、1階の保育園にお子さんを預けて2階で働く男性もいます。奥さまが会社員で、ご自身はフリーランスだそうです。今は女性が多いけれど、シニアなどいろんな方の多様な価値観が集まり、お互いに刺激し合う空間にしていきたいですね。
3階はワンルームが6部屋あり、今はテレワーク拠点として県内外の企業さんに貸し出しています。

――利用してくださる方がいるということは、それこそ潜在していたものが顕在化したのですね。

絶対困っている人がいると思っていたら、実際に1階にお子さんを預けて2階で働くお母さんが何人もいらっしゃるので、本当によかったです。

――『いちぼし堂』を立ち上げるために、建物も一から作られたのですか?

土地を買って建物を建てて、僕はかなり借金を抱え込んで…(笑)。でも、誰かが越境していかなければいけないので、身をもってやっているところです。

――越境するとは?

尊敬する人の言葉なんですけど、自分の中の限界を越えていく感じです。辺境にたたずむと、踏み出すのって怖いけど、それをちゃんと越えていく。回数をこなしていくと自ら変わってきて、新しい世界が開けたりする。大なり小なり何でも、自分なりの越境ができればいいんですよ。例えば、クラスで発表することもその一つですね。

――なるほど、深いですね。スタッフはどうやって採用されているのですか?

ありがたいことに月に何件か応募があるんですよ。求人を出しているわけではないのに、理念に共感してくださって、昨日も岩手から移住したいと問い合わせがありました。無料でイベントの動画を撮りたいと言ってくださる人もいます。

――皆さんが楽しんで関わろうとしてくださっていると。

それは感じますね。報酬という概念も今、僕の中で考えているところで、むしろお金によってなくなるものもたくさんあるので、価値観がいろいろ変わる時代なんだなと感じています。

――今、力を入れていることは何でしょう?

いちぼしスタッフの居場所になれるように、お仕事をもらって人をマッチングすることで事業を成り立たせようと必死にやっています。お仕事をもらうというのは困りごとの解決になり、静岡のまちの発展にもつながればと思っています。僕自身が責任者ですけど、最初にビジョンをしっかり作ったので、今は「いちぼし堂さん」のビジョンを預かって行動している感覚です。

――半年やってこられて、うれしかったことがあれば教えてください。

このスリッパをもらったことが、めっちゃうれしかったです。誕生日にサプライズでいただいて。組織マネジメントって難しくて、僕は良かれと思って突き進んでも、それが必ずしも皆にとって幸せなことじゃなかったりして失敗も反省もある。だから、こうしてスタッフの方にプレゼントをいただけるのは本当にありがたいです。

――この職場は楽しそうですね。

最初に工場に入ったとき、自分が必死になればなるほど熱くなるけど、頑張ってる感はいらなくて、本人が一番楽しまなければいけないと気付いたんですよね。やっている人が楽しくないとまわりも楽しくないので、素直に楽しもうと。もちろんいろいろありますけど、皆で楽しくやっていきたいと思っています。

優しくなれる社会に

――東京で働かれたからこそ、静岡で見えるものはありますか?

すごくあります。会計士時代は20数階のオフィスで朝から晩まで休みなく働く生活でした。でも、静岡に帰ってきたら工場で、家出少年とか生活保護の方とかいろんな方と話して働いてもらって、うれしいんですよ。泥臭い経験がたくさんあって、すごく学ばせてもらって、人間力というのかな、生きていく上で良かったなと思っています。

――今後のビジョンを聞かせてください。

コミュニティになっていきたい。これから生き方が変わり、テクノロジーも発達して、いろんな迷いが生まれると思うんです。人それぞれ悩みを抱えながら、いろんな人が集まる居場所にしていきたいです。

――こういう風にしたいというモデルがあるのですか?

いつだったかなあ、工場の駐車場でシニアの方と若い人が話しているのを見て、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」みたいな風景だな、なんかいいなと思ったんです。そんな風景が増えて、そこにいる人たちが楽しみ気持ちよく過ごしていたら、きっとまわりを巻き込んでいく。それはまちのためになるでしょう。そしてそれを慈善事業ではなくちゃんと事業として利益を生んでいくことが、僕の役目だと思っています。
ここを多様な居場所の象徴にしたい。地元のつながりが1・2階、外とのつながりが2・3階で、2階が交わる場所というイメージを持っています。この場所にしたのは、まちと住宅街の中間くらいで、神社も子育て支援センターも障碍の方の保育園もあるから。そういう人たちが交わる機会を増やしていきたいです。

――多様な人が交わることで、どんな未来を描いていますか?

考え方が多様になって、優しくなれると思うんです。お互いのことが分からないとバリアを張るけど、交わることで、同意はしなくても理解し合えるようになる。そんなまちは居心地が良くて、人が集まってくると僕は信じています。そんな社会をつくっていきたいですね。

公認会計士という安定したエリート街道を捨て、静岡にUターン移住した北川さん。ひと昔前では考えられないような動向ですが、近年はこのような“気持ち”に素直に動く人が増えてきているように思います。どちらの選択が良い悪いではなく、行動を起こす本人が主体的に動き、活き活きしている人のいるまちはきっと魅力的になっていくのではないでしょうか。
(文=佐々木恵美、写真=窪田司)