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静岡市内から車で30分ほど走らせたところにある玉川地区は、静岡県の北部にあるお茶や林業で栄えた地域。都会からのアクセスもよいため、ここ数年家族での移住を検討する人が増えているそう。そんな玉川地区で2歳のお子さん、あかりちゃんを育てながら『自然保育 森のたまご』をはじめられた原田さやかさん。株式会社玉川きこり社を立ち上げ、玉川地域を盛り上げ続けているさやかさんが、どのようなきっかけで『自然保育 森のたまご』をしようと思ったのでしょうか。

「限界集落」がはじまり

――まずはさやかさんのご出身地と、静岡に来たきっかけを教えてください。

私の出身地は愛知県豊橋市です。大学進学をきっかけに、静岡県にきました。実はずっと写真家になりたかったのですが、両親に大反対されていて。でも、どうしても我慢できず、大学3年生の時、イギリスへ渡り写真について学びました。大学卒業後は、静岡市内のフォトスタジオに勤務し、その後フリーランスのカメラマンになりました。

――玉川地区との出会いは、フリーカメラマン時代でしょうか?

その後ですね。フリーカメラマンをしばらくした後、静岡の地域情報誌「すろーかる」に所属しました。そんな時、テレビで「限界集落」という言葉を初めて知ったんです。それまで「山に住む」という感覚が全くなくて、すごく衝撃を受けたのを覚えています。静岡にも限界集落があるなら、自分の手がけている情報誌を通じて、何かできないかな?と思うようになりました。そんな時に紹介してもらったのが、玉川に住むおばあちゃん、岩崎さんでした。お家に遊びにいってみると、それはものすごい山奥で(笑)。でも、家の隣には茶畑が広がり、庭には梅の実がなっていて、自然と共存している暮らしをなさっていました。その景色を見た時に、なんて美しい暮らしなんだろうって感動したんです。その頃の私は、徹夜続きで、3食外食は当たり前。仕事一筋で、この玉川地区で生活をするなんて考えたこともありませんでした。ですが岩崎さんや玉川地区から与えていただくものが本当に多くて、だんだんと「この玉川の暮らしを、魅力をたくさんの人に伝えたい」って思うようになりました。

▲岩崎さん

――素敵な出会いですね。その時に立ち上げたのが、「安倍奥の会」ですね?

はい、そうです。2008年に「安部奥の会」を結成しました。メンバーには、玉川の住民はもちろん、静岡市内の方や学生さんなどもいました。「流しそうめん祭り」というイベントをしたり、地域の情報をまとめた「玉川新聞」を発行したり、玉川の魅力を伝える活動を続けました。地域の人は「こんなところ、何もない」っていうんですが、私から見たら宝物がたくさんです。だからこそ、地域の人に玉川の魅力を再確認してほしい、そして外の人にも玉川を知ってほしいという思いで活動を続けていました。でも、イベントや新聞を続けていても、玉川地区の人口は減っていく一方です。この状況を変えるためには、本気で村と向き合っていかないといけないと思うようになってきました。
(さらに…)

だれかに紹介したいお店…それは提供される商品の質はもちろん、中で関わっている“人”に魅力があるのではないか。そんな想いからこのシリーズではお店の中の人にフォーカスしつつ、お店を紹介していきます。

新しい文化の発信拠点に

JR静岡駅から歩いて12分。江戸時代は旅人が立ち寄る宿場として栄え、今は再開発が進むエリアに『泊まれる純喫茶 ヒトヤ堂』は佇んでいます。築50年の大正ロマンあふれるこの建物は、2018年6月にオープン。平日の昼下がり、自転車で訪れるシニアの男性や学生、女性グループなどでにぎわい、スイスから観光に来た若い女性も楽しそうに話していました。喫茶店のカウンターに立つのは、20代の女性3人。26歳でヒトヤ堂を立ち上げた村松佐友紀さんが、肩ひじ張らずにこれまでの道のりや思いを語ってくれました。

学生のときに語っていたこと

――とても趣のある素敵な空間ですね。村松さんがこちらを立ち上げるまでのことを教えてください。

えっと、いつも行き当たりばったりなんですけど…(笑)、私は静岡県牧之原市で生まれ育ち、街中のディスプレイや店舗の装飾などに興味があって、武蔵野美術大学で空間演出を学んでいました。その後静岡の実家に戻り、地元で広告の企画営業の仕事をしていました。

――広告の仕事からいまの飲食・宿泊業はかけ離れている気がしますが、何かきっかけがあったのでしょうか?

広告の仕事に就いたのは、たまたまでした。私は学生時代から海外のゲストハウスを利用することがあり、いつかゲストハウスをしてみたいなという思いがありました。でもタイミングがなく、いつしかその想いも遠のいていて…。ただ、働き始めて営業の仕事をしていると、経営者と話す機会が多く、経営も面白そうだなと思っていました。そしてもう一つ、背中を押される出来事があったんです。

――何でしょう?

ここを一緒に立ち上げた相方は、大学時代からの友人なんです。24歳の時に彼女と話していたら、「学生のとき、ゲストハウスをやりたいって話してたよね」と言われてハッとして。ちょうど1年更新の仕事をどうするかと考えていたタイミングだったので、「やるなら今だな、本気で考えてみよう」と。彼女は東京出身で、当時東京でCMや映画の美術スタッフとして仕事をしていたけど、一緒にやろうという話になりました。

――夢が動き出した瞬間ですね。何から始めたのでしょうか?

まずはゲストハウスができる物件を探しました。でも不動産屋を回りましたが条件が合わず、空き家バンクを探しても厳しく…。しばらくして、ビルのオーナーさんを紹介してもらう機会があり、「直接オーナーさんに当たればいいんだ!」と気付き、地域おこしに携わっている会社にアプローチして、この物件に巡り合いました。ここはもともと喫茶店で、奥は住居。その方が喫茶店をやめるため、別の借り手を募集されているところでした。私たちがやろうとしていることを伝えると、オーナーさんも興味を持って下さり、ついに物件が決定。そして相方が退職して静岡に移住し、2018年6月に『泊まれる純喫茶 ヒトヤ堂』をオープンしました。

――喫茶店を残して、ゲストハウスにされたのですね。素敵な内装はリノベーションしたのですか?

当初喫茶店の経営は考えていませんでした。でも初めてお店を見に来た日に、この場所が無くなってしまうのはもったいないと思ったんです。約40年も営業を続けてこられた前の女性オーナーさんとも話をし、地域に愛されていた喫茶店を引き継げることに。喫茶店の内装はそのまま残し、住居部分だった奥のスペースは大改造。ものづくりが得意な相方と、たくさんの友人の手も借り、できるところは自分たちでリノベーションしました。
(※セルフリノベーションの様子はhttps://hitoyado.com/で紹介されています)

(さらに…)

伝統の街「鷹匠」に、新しい風が吹く

戦国時代に終止符を打ち、300年近く続く泰平の時代を築いた徳川家康。静岡市は、家康に深い縁のある街です。
家康は、幼少期には今川家の人質として、晩年は将軍職を退いた大御所として、静岡市の中心にある駿府城で生活しました。静岡は、生まれ故郷の岡崎、天下を治めた江戸に並ぶ「家康のふるさと」です。
その駿府城の東側に位置するのが「鷹匠エリア」。南には静岡鉄道・新静岡駅と日吉町駅が位置し、西側には古くからの商店街が軒を連ねる北街道が走ります。「鷹匠」という地名は、鷹狩りが趣味だった家康が、鷹を扱うプロフェッショナル「鷹匠」を住まわせていたことに由来する由緒あるものです。

交通の便もよく、静岡市の中心街にも近い。でもどこかしっとりと落ち着きがある鷹匠を、「いわば“静岡の代官山”(笑)ですよ」と紹介してくださったのは、静岡鉄道・不動産流通事業部の高野浩之さんです。

――鷹匠は、新静岡駅にも、JR静岡駅にも徒歩で行ける、非常に便利な立地ですね。

そうですね。まさに絵に描いたような閑静な住宅街です。昔から住んでいる方が多いエリアで、そこに住んでいることがステータスになる場所だと言えます。
保育園・幼稚園から小中学校などの教育機関へのアクセスがよく『新静岡セノバ』をはじめとしたショッピングモールもあり、生活インフラはたいへん充実しています。
地元でも非常に人気が高く、「鷹匠に住んでいます」というと、静岡在住者なら誰でも「いいところにお住まいですねえ」と反応すること間違いなしの人気エリアです。

――まさに「静岡の代官山」ですね。東京の代官山は、流行に敏感かつハイソな人たちが集まる印象がありますが、鷹匠はどうでしょうか?

ここ最近、おしゃれな飲食店や雑貨店がどんどん増えてきました。オーガニック野菜を販売するお店や、ヴィーガンメニュー専門のレストランやカフェなど、毎日の生活に目的を持って楽しむ人に喜ばれるようなお店も多いですね。以前は「一言さんお断り」のような、ちょっと敷居の高いお店もありましたが、ここ最近雰囲気が変わってきました。

――古くからの街だと、外から移住するにはハードルが高いようにも感じますが、いかがでしょうか?

静岡県内、市内からの移動もありますが、他県から転入してくる方も増えています。新幹線を利用して首都圏に通勤している方もいらっしゃいますね。ちょうど代替わりが進んでいる様で、いろいろと動きが出ていますよ。

――たしかに新幹線利用で首都圏勤務という方のお話もうかがったことがあります。まさに利便性も良く人気のエリアということですね。となるの賃料もそれなりにするのではないでしょうか?

はい、率直に言ってかなりの高額エリアです(苦笑)。以前建った新築マンションも即完売で、中古マンションの物件もいわば争奪戦。ですが、だからこそ今回ご紹介する物件にはご注目いただきたいと思います。ちょっと築年数は古いですが、それだけでは計れない価値がありますよ。

レトロテイストとオール電化のベストマッチング

ということでご案内いただいたのが、葵区鷹匠2丁目の『丸山ビル』。新静岡駅からは徒歩約4分とほど近く、生活には便利な立地です。1階は、静岡の食材を生かした和食料理店。お店の脇の階段を登って、2階・3階が賃貸エリアとなります。

築年は1967年。ベトナム戦争やミニスカブーム、グループサウンズ……と、当時の流行を挙げてみても今の若い人にはわかりにくいかも。とはいえ躯体に大きな痛みもなく、共用部分のコンクリートづくりの階段や廊下はちょっとレトロな雰囲気もただよいます。

今回ご紹介するのは、2階と3階のワンルーム。床はフローリング敷で、居室の広さは約8畳。専有面積は21平米と、一人暮らしなら十二分な広さです。室内はリフォーム済みで、採光は2面から。陽の光もよく入り、建てられてから50年以上を経ているとはとても感じられない明るい雰囲気が特徴です。


▲上下2段に分かれた押し入れは収納力十分。


▲キッチンには二口のIHヒーターを設置。ガラストップで日々のメンテナンスもラクラク。

バスルームは三点ユニットで、脱衣場には洗濯機スペースも。小型の全自動洗濯機ならぴったりです。

▲バスルームは三点ユニットで、脱衣場には洗濯機スペースあり。小型の全自動洗濯機も設置可能。

そして、賃料はなんと驚きの3万5000円(管理費なし、敷1・礼1。静鉄ライフサポート費800円/月)。高野さんによれば、相場の半額に近いということです。
条件面ではペット不可なのは残念ですが、単身可・事務所利用応相談と、活用法はさまざまに考えられそうです。

▲間取り図

おためし移住に最適!

――さて、なかなか素敵な物件ですが、高野さんとしてはどんな方に向いていると思われますか?

もちろん、普通に一人暮らしで静岡市内に勤める、という方には文句なくオススメです。とにかく立地がいいので、生活面で不便さを感じることはほとんどないと思いますよ。家賃や敷金・礼金も安いので、お給料がまだ上がっていない若い世代の方でも、負担は少ないと思います。
そして、「おためし移住」という考え方もアリではないでしょうか。例えば、東京からの移住を考えている方にオススメできます。まずベッドや寝具と最低限の生活用品だけを買い揃えて、週末に新幹線や車で通って仕事を探したり、人とのつながりをつくったり。そういう意味でも、静岡の中心部に近い鷹匠に拠点を持てるのはいいことだと思います。

――なるほど、いわば「通い移住」という感じですね。新幹線など交通の便のいい、静岡市ならではです。

はい。他にも、ひとまずこの物件に引っ越してから腰を据えて本格的に家探しをする、移住希望者同士で必要に応じてシェアユースするなど、さまざまな活用ができると思います。
他にもさまざまな物件が揃っていますから、ぜひお問い合わせください。
(文・写真=深水央)

だれかに紹介したいお店…それは提供される商品の質はもちろん、中で関わっている“人”に魅力があるのではないか。そんな想いからこのシリーズではお店の中の人にフォーカスしつつ、お店を紹介していきます。

新しい文化の発信拠点に

静岡といえばおでん!……というイメージが全国に広がったのはいつ頃のことだったでしょうか。静岡駅の駅ナカから駅南の飲食店街、そして青葉通りの「青葉横丁」「青葉おでん街」と、静岡の街には「静岡(しぞーか)おでん」を看板に掲げるお店が所狭しと並んでいます。

黒い煮汁に浮かぶ黒はんぺん、皿に取って削り節粉や青のりを食べていただくお味はまさに絶品。全国においしい鍋物は数あれど、この静岡おでんは他では味わえない絶品です。

その静岡おでんを、静岡の街の象徴・駿府城公園で味わえる『おでんや おばちゃん』が2018年にオープン。通年営業・定休日なし、しかも午前10時から営業とあって、老若男女を問わず幅広い年齢層に愛されています。
でも、なぜ公園におでん屋さんなんでしょう。ここはぜひお話を聞いてみたい……ということで、店主の杉浦孝さんにお話をうかがいました。

会話が最高のつまみ

――城跡の公園におでん屋さんというのは珍しいですね。

「静岡おでんの会」という集まりのなかで、「どこか公園のようなところに、おでん屋があったらいいねえ」という話はずっとありました。他の公園でという話もありましたが、やはり観光客も多い駿府城公園がいいだろうと。観光のついでに静岡の名物であるおでんを楽しんでもらいたいですからね。

――観光地である駿府城公園にあると観光客も気軽に立ち寄れますね。駿府城公園のお店はお昼から営業ということでお子さん連れのご家族でも行きやすいですね。

そうなんです。気軽に“駿府城公園におでんを食べに行こう、ついでに史跡も見ていこう”というかたちにしていきたい、という話を「静岡おでんの会」のメンバーを前に熱く語ったわけですよ(笑)。それを「おでんの会」のメンバーがきちんとした文書に整えてくれて、市に申請したわけです。
ちょうど市の方でも、民間の力を活用した公園の利用について新しい試みをしたいと考えているところだったようです。以前この場所には、公園の売店と食堂があったんですが、この駿府城公園にくる方はやはり県外や市外の方が多いので、朝からでも静岡のおでんを食べてもらいたいですよね。

お店に来ていただくお客さんは、県外・市外の方がほとんど。もともと、夕方16時から営業している「青葉横丁」のお店でも県外や市外の方がほとんどですが、ファミリー層は少ないので幅広い層に静岡おでんを楽しんでいただけるようにしていきたいと思っています。

おでんだけでなく、静岡にゆかりの無い方々にも楽しい時間を過ごしてもらおうと、いろいろと工夫をしています。たとえば、県ごとに一冊ずつノートをつくって、メッセージを書けるようにしています。自分の関係のある県から来たという書き込みを見ると、なんか楽しいじゃないですか。最近は海外の方も多いので、国ごとのノートも追加しています。

――たしかに自分の出身地のノートとか見たくなりますね。そういえば、なぜ「おばちゃん」という店名なのですか。見たところ、杉浦さんは「おじちゃん」ですが……。

お店に立つのは、僕以外はほとんどおばちゃんですから(笑)。最年少で68歳かな。もともと静岡のおでん屋さんは、B級グルメブームが来るまではおばちゃん一人で常連だけを相手にやっているようなお店がほとんどだったんです。
それがブームの到来で急に県外からの人も増えて、なかなか対応しきれない状態もあった。今では観光地化が進んで、経営してるおばちゃんがパートのおばちゃんを雇って、忙しくお店を回しているという状態のところもあります。
うちでは、駄菓子屋さんにいるおばちゃんのイメージでお客さんに声をかけてくれ、っておばちゃんたちにお願いしています。これが若いお兄ちゃんやお姉ちゃんだと、どうしても他の色がつく。でもおばちゃんなら、会話のハードルは低いでしょう。
そういえば、ここで働いているおばちゃんにも、神奈川から静岡に移住してきたスタッフがいますよ。もう72歳ですけど、元気ハツラツですよ。ぜひ会いに来てほしいですね。

▲青葉横丁店内の様子

――今後、目指していきたいことはありますか?

おでんを通じて、静岡を面白いと思ってほしいですね。静岡って「立ち飲み」の文化があまりないんですよ。最近立って食べるステーキ屋さんとかありますけど、静岡の人は座ってじっくり飲む。それは、ゆっくり話をしながら飲むからなんですね。おでんもですけど、静岡では会話が一番のつまみ、おみやげになるんだと思います。

それと、子どもたちの世代にもおでんを通じたコミュニケーションを広げていきたい。地元の小学校から、「おでんを学ぶ校外学習」ということで120人の小学生がお店に来ました。そこで一人一本ずつおでんを食べてもらう。すると、その子たちの何人かは駿府城公園に来るたびに思い出すでしょうし、お父さんに「あそこで黒はんぺん食べたんだよ」って自慢できるでしょう。将来大学や仕事の関係で静岡を離れても、静岡のことを考えるときに「ああ、駿府城公園でおでん食べたな」って思い出になる。そんなつながりを作っていきたいですね。

取材日の夜には「青葉横丁」のお店にうかがいました。カウンターには地元の常連客はもちろん、北は仙台から南は鹿児島と全国からお客さんが集っていました。その空間には「このおでんの食べ方は〜〜」「このおでんに合う静岡のお酒は〜〜」とおでんを介した会話とたしかなコミュニティができていました。静岡にお越しの際にはぜひ立ち寄ってほしいお店のひとつです。
(文=深水央、写真=深水央、窪田司)

【おでんや おばちゃん】
http://odenya-obachan.com/
<駿府城公園店>
静岡県静岡市葵区駿府城公園1-1
TEL:080-5824-7400
営業時間:10時〜17時
定休日:年中無休(お電話でご確認ください)

<青葉横丁店>
静岡県静岡市葵区常磐町1-8-7
TEL:054-221-7400
営業時間:16時〜22時(ラストオーダー21時30分)
定休日:日曜日

静岡市葵区紺屋町。かつて、その名前のとおり染物屋さんが軒を連ねていたこの街に誕生した『ホステル&バー・ラウンジ 紺屋 CO-YA』。立場や年齢、育った国が違う人々がその場を通して交流する、イギリスのパブ(パブリックハウス)をイメージした新しい集いの場です。『CO-YA』の運営に携わる荒木柚葉さんは、ある想いを実現するために一念発起して新卒入社した会社を6ヶ月で離れ、東京から静岡に戻ってきました。「6ヶ月でのUターン」を決意させた、その思いとは。

入社半年でUターン移住

――Uターンということですが、もともと静岡のご出身ということでしょうか?

いえ、三重県のいなべ市というところです。岐阜と滋賀と愛知に隣接している自然がたくさんあるの町です。高校までは三重にいて、大学は静岡市の静岡県立大学に通っていました。大学3年生の2月ごろから東京の会社でインターンをはじめて、そのままその会社に入社しました。仕事内容としては中国や台湾、香港の若い女性向けにSNSを中心としたメディアを通じて、インバウンドを推進していました。

▲東京時代

――近年海外からのインバウンド需要が増えていると聞きます。それはやりがいのあるお仕事ですね。

とくに、アジアからのインバウンド客は口コミで観光スポットを探す傾向が強いんです。例えば台湾で人気のある旅行情報サイト「トラベルバー(旅行酒吧)」では、ユーザーが自分の旅行した行程を共有できるのでインフルエンサーの投稿をきっかけに来日する方が多いですね。

――なるほど。となると、インバウンド客を呼ぼうと思ったら、そこを活用しないといけないですね。

そういう影響力のあるインフルエンサーを招いて、プロモーションやツアーをやる必要があります。でも、こういう話をして理解が早いのは東京の会社やインバウンドに積極的な官庁ばっかりなんですよね。静岡ではまだそういった認知が広がっていなくて、「前例がない」と踏み切れていないのが現状のようです。このギャップはなかなか埋まらないなという実感もあって、それなら自分で地域に入って実例をつくろうと静岡に戻ってきました。東京にいたのは6ヶ月くらいです。だからUターンというより出張から戻ってきたみたいな感じですね(笑)。

――え、では新卒で入った会社をいきなり辞めたということですか? その決断はかなり大きなものだったと思いますが。

自分としては、迷いはなかったですね。会社に「正社員という形からは離れたい」という意向を伝えたときに、地域で活動することに意味があるということを理解いただきました。新卒1年目での決断で、やりたいこともなくて辞めてしまうんだったらとても怖いですけど、4年間過ごして自分にとって足場がある静岡に帰ってきて挑戦するわけですから大丈夫かなと。
両親にはたくさん相談もしてたくさん泣いていました。「私は東京でこんな仕事をしたいと思ったけど、やっぱり違う。心が満足できてない」と話したら、両親とも「考えてることは間違ってない。やりたいようにやればいい」と言ってくれて。背中を押してもらいまいした。

――地域で頑張ろう、と考えたときに静岡を選んだのはなぜでしょうか?

やはり、大学4年間でお世話になった人たちがたくさんいることと、あとは明るくてあったかくて、住みやすい土地だからですね。人もおだやかで食べ物もおいしいし、街の中なら自転車ですぐ移動できるのもいいですね。東京とは新幹線で50分くらいと近いですから、行き来もしやすいですしね。

▲静岡で好きな薩埵峠の様子とコーヒースタンド

言葉だけでなく実行

――今はどういう取り組みをしているのでしょうか?

学生時代にも関わっていたホステル『CO-YA』の運営を行っています。宿泊施設ですが、私は単なる宿泊施設だけをやりたいわけではないんです。
『CO-YA』をインバウンド客含めた人が集まったり、静岡での滞在の拠点にしてもらうためのツールとして役立てるのが目標です。学生が使いやすいような価格帯や仕組みにしています。それも人に集まってもらいやすい場所にするためです。私もつい最近まで学生だったのでわかるんですが、どこかのスペースって借りようとすると学生からすると高いじゃないですか。なので社会人だけでなく学生にも集まりやすい場にして、国内外や世代を越えた情報源や人と人とのハブになるようにしたいと思っています。

そしてもう一つ取り組んでいることがあって、株式会社トムスという別のマーケティング系の会社で、「SHIZUOKA ECHO」という取り組みをやっています。これは学生と企業を結びつけて、社会に触れてもらおうというプロジェクトです。まだ試行錯誤の状態ですけど、学生っていきなり社会人と話をしようとすると、必要以上にプレッシャーを感じてしまいがちじゃないですか。気負いしなくていいような場をつくる、メディアのようなものをつくっていきたいと思っています。

▲「SHIZUOKA ECHO」のインスタグラムより

――取り組まれている2つとも異なるもの同士の交わりをつくっていますね。多様性と呼ばれる時代にもなっていますが、異なる価値観などを交えてお互いを尊重することってこれからもっと重要になってくる気がします。

例えば「大学を卒業したら就職」というある種暗黙の既定路線もあるなかで、私自身、他の人と違うことをして失敗するのは怖かったけど、「やりたい」という気持ちがめちゃくちゃあったから、東京の会社から離れて静岡で挑戦しています。
最近では「#KuToo」の運動や「パンテーン」の話題もありましたけど、スーツを着てヒールを履いて、それがその人の人となりを全て表現しているとは思いません。スーツ姿や黒髪が好きで落ち着くって人がいても勿論良いですし、自分らしさを出した服装や髪型でも素直に意思を伝えるのも良い。形だけのものではなくて、物事に取り組む姿勢や態度の方が大事だと思います。

――就職して6ヶ月でその矛盾に違和感を持ち、自身の気持ちに正直に行動を起こすってなかなかできないと思います。すごい行動力だと思いますが、今後はどのようなことを取り組んでいく予定でしょうか?

アジアからくる観光客の方は、日本旅行のリピーターが多いんですよ。なので、他の人が行くような大都会ではなく地方に行って、ツウな自分を発信したいという気持ちがある。だから静岡や三重のような地方に行きたいという方もいるんですね。でも、そんな人たちがいざ行こうとなったらアクセス手段や情報がない。インターネット上には情報はあるんですけど、ピンポイントに検索するのは難しい。そこにギャップがあるんですよね。彼らは現地の人がSNSで発信している情報を頼りに来るんですけど、そこが地方は弱いと思うんです。
『CO-YA』は駅から近いので、バックパッカーや自転車で日本中を旅している海外の方もたくさん来ます。そんな人に静岡のいいところを勧めてあげたいんですけど、定番のスポット以外はなかなか出てこないことが多い。そんなときに案内できるような、私が以前勤めていた会社の中国や台湾、香港のメンバーと連携してツアーを作っていきたいですね。地域プロデュースなどのセミナーは世の中にたくさんあるんですけど、実際に現場で動く人がいるかというのが大事だと思っています。現場で実行する方法を考えるのが一番難しいんですけど、言葉を掲げるだけでは進まないので、静岡で実行して、ゆくゆくは他の場所にもノウハウを共有していきたい。そうやって口コミでどんどん世界中に地域の魅力を広げていきたいですね。

入社から半年での退職に迷いはなかったという荒木さん。世間的な考えでは様々なリスクを考えてしまいそうですが、そこを確実に実行まで移す姿は頼もしく感じました。多様な価値観を備え、自身の意思に従って動く姿勢は地方課題だけでなく、これからの時代を生きていく上で重要な力になってくるのかもしれません。
(文・写真=深水央)

2019年4月、静岡市葵区安東に誕生した『いちぼし堂』。保育園・コワーキングスペース・レジデンスという「職・育・住」一体型の施設として、新しいチャレンジを始めたばかりです。責任者の北川信央さんは輝かしい経歴を持ちながら、20代後半に地元静岡へUターン。家業の工場改善から見えてきたこと、そして『いちぼし堂』で実現したい未来とは―。

潜在資産を顕在資産に

――まずは北川さんの出身やキャリアについて教えてください。

出身は静岡市清水区で、京都大学経済学部に進学して、卒業後は公認会計士として監査法人に入り、東京で働いていました。静岡に戻り、家業に入ったのが27歳のとき。家業は曽祖父が創業した製材屋で、今年で創業87年になります。清水は港があるので、木材を輸入して板にする仕事をしていて、それから建具を量産する工場になり、父の代で人材ビジネスを始めて、北川グループとして4つの会社があります。今は母が社長を務め、僕の新規事業として『いちぼし堂』を立ち上げたところです。

――東京で公認会計士ならエリートと言えそうですが、なぜ静岡に戻られたのですか?

もともと家業を継ぐことは考えていなかったのですが、僕が20歳で成人式の日に父親が急に他界したことがターニングポイントになりました。母が専業主婦から社長になり、リーマンショックも乗り越えました。だから、いつか静岡にという気持ちが芽生えていた中で、東京では多くの人が同じように見えて、会計士の仕事も何か違う気がして、7年前に帰郷を決断しました。

――大きな決断ですね!最初はどんな仕事をされたのでしょう?

最初の5年は、工場の立て直しを重点的にしました。40~50名くらいの町工場で、残業が多く雰囲気がピリピリして、人手不足に陥っていた。うちの工場では単純な業務が多く、属人化していた業務を標準化すれば誰にでもやってもらえるのではないか、ならば60歳以上のシニアの方を採用してみてはどうかと考えました。社内外から「簡単にできるわけがない」「危ない」という声もありましたが、カイゼンして業務を細分化し情報を行き届かせる仕組みを作って、シニア採用をスタート。今では6割以上がシニアで、60~80代の方が現場を回してくれています。一方、7年前に僕と一緒に入った高卒の女の子たちがリーダーになり、朝のミーティングは若手の女性や男性、60代などさまざまなリーダーがいます。

――素晴らしい改善ですね。

シニアの方が仕事を続けてくれて、居場所になっているのがうれしいんですよ。一時期は八百屋みたいに野菜を売る人や、会社の片隅で何か育てている人もいたなあ。

――そして、『いちぼし堂』の事業に移られたのですね。

居場所を大切にしたいという想いで立ち上げました。工場と『いちぼし堂』の共通した考えは、まちのため、そして潜在資産を顕在資産にすること。ポテンシャルになっている価値あるものをちゃんと表に出していきたい。それはシニアの方、育児と仕事を両立しようというお母さん方、静岡自体もそうかもしれない。たくさんある潜在資産を顕在化していくこと、まだ評価されていないものを「これ、めっちゃいいんだよ」というようなことが僕は好きだなあと思っています。
(さらに…)

結婚がきっかけで東京から熊本、熊本から静岡へ

パートナーの転職により、2019 年4月に熊本県から静岡県に移住してきた松原里穂さん。結婚、パートナーの転勤など、女性ならではのライフイベントの変化を柔軟に受け入れながら、現在はフリーランスとして企業のコンサルティングやPR、海外展開のサポートの仕事をしています。そんな自分らしく働いている松原さんに、静岡の魅力についてお伺いしました。

静岡の魅力を実感

――熊本県から静岡県への移住とお伺いしましたが、まずは松原さんの経歴を教えてください。

出身地は大阪です。大阪の大学に在学中に、魅力的な各地域のお出かけ情報をユーザーに投稿してもらい、その情報をインターネット上で共有する「Holiday」というサービスを友人たちとローンチしました。その後「Holiday」をクックパッドに事業譲渡し、大学卒業後はクックパッドに入社するため、東京へ引っ越しました。入社後は「Holiday」を充実させるため、コミュニティマネージャーとして日本全国を飛び回り、100回以上ものワークショップを現地のNPOや有志の方々とともに開催しました。熊本県のテレビ番組で旅のコメンテーターとして、出演していた経験もあります。
そんな時に熊本でパートナーに出会い、2016年結婚することになりました。結婚当初は、東京と熊本を行ったり来たりする生活をしていました。ですが、夫婦としての生活をもっと大切にしたいという思いが次第に強くなってきたので、思い切って2017年1月に熊本県に拠点を移しました。

▲「Holiday」時代のワークショップ風景

――ご結婚をきっかけに、熊本へ移住したんですね。熊本では、どんな働き方をしていたんでしょうか。

「Holiday」はリモートワークが可能なため、メールやチャットなどで連絡を取り合いながら、月に数回東京へ出かけていました。ですが、熊本に住みながら東京の仕事をしていると、なんだか「暮らしと仕事が、かみ合っていないな」と感じることが増えてきました。そんな中で「熊本だからこそできる仕事がしたい」と思い、県内の企業に就職しました。

――熊本の会社では、どのような仕事をしていたんでしょうか。

天草にオープンする商業施設にあるカフェのプロデュースをさせていただきました。コンセプト作りはもちろん、メニュー開発から業者選定など、すべてにおいて関わらせていただいたので、とてもやりがいがありました。どうしたらお客様にきていただけるのか。その価値を作る仕事は、「Holiday」で行ってきた仕事と共通点もあります。
また、熊本で就職した会社は副業OKだったので、「Holiday」の業務も引き続きしていました。他にも、熊本で出会った海苔を海外へプロモーションするお手伝いもしていました。

▲ロンドンでの仕事の一幕

――場所を選ばず、自由に働いていらっしゃいますね。そんな中、静岡への移住はどういったきっかけだったのでしょうか?

静岡への移住は、パートナーの転職でした。熊本の会社から静岡の会社へと転職することになったんです。全く新しい土地での再スタートになるので、転職を決める前に、二人で沢山話をしました。そして、事前に静岡を訪れてみて、あちこち巡ってみた結果、すごく気に入ってしまって・・・移住を決めました!

――松原さんからみた、静岡のいいところはどんなところでしょうか。

一番感動したのは、どこからでも富士山が見えるということ。富士山を見ると、なんだかホッと癒されるから不思議です。富士山が見える風景と観光を絡めたら、もっと静岡をPRできるんじゃないかなと、ついつい仕事柄考えてしまいます(笑)。
あと、静岡の人はとても優しい方が多いような気がします。転勤族も多いし、出張で静岡に来る方も多いからでしょうか、すごく開かれているイメージです。
実は、静岡に来てから個人事業主として独立したんですが、静岡の人はとても協力的で「あんなに人がいるよ」「この人と会ってみたら」と色々ご紹介してくれたり、親身になって応援してくれます。すごくありがたくて、嬉しいですよね。新しいことをはじめたい人には、すごくいい土地なんじゃないのかなと実感しています。

立ち止まり見極める

――今後静岡でどんな仕事をしていく予定ですか?

静岡県には、食も、観光も、すごくいいものがたくさんあります。でも、まだまだ外に伝わっていないように思います。今までの経験を生かして、静岡のいいもの、美味しいものを、日本はもちろん、海外にもアピールして、静岡の価値を高めていきたいと考えています。
そのため、今は静岡の観光地や食、生産者などをリサーチしていることです。可能なら、輸出できるような商材を見つけて、海外へ売り出していきたいですね。

――すごく自由に働いている印象の松原さんですが、どうしたら松原さんのように場所を選ばず、好きな仕事を続けていけるのでしょうか。

東京時代は、記憶にないくらい一生懸命働いて、なんでも挑戦しました。その経験や、そこで得た出会いが、今の仕事へつながっているように思います。
結婚前は、やりたいことはなんでもチャレンジしようと思い働いてきましたが、最近では取捨選択することの大切さを感じています。全てを得ようとしても得ることはできません。だからこそ、じっと立ち止まって今の自分にとって何が必要か、見極めることが必要なんじゃないかなと思います。
現在、半分は東京と海外の仕事、2、3割は九州の仕事、残りは静岡でのリサーチという仕事内容です。今できる最善を尽くして、一歩一歩進んでいく。それが今の私に一番必要なことです。
女性は結婚や出産など、働き方を変えないといけない時が来るように思います。その時々の変化を柔軟に受け入れ、今後も自分らしく働いていきたいと思います。

▲ブッリュッセルにて有明漁師海苔PR

――なるほど、その時の状況を柔軟にとらえ、自分らしく仕事をしていくイメージ像がはっきりと描かれているんですね。

そうそう!あとこれを言い忘れていました(笑)。
私的に静岡のおすすめは、みんながサッカーを大好きなところ。県内に4つもプロチームがあるんですよ!市内のベンチや花壇がサッカーボールのモチーフになっていたり、飲み屋さんで隣になった方ともサッカーの話で盛り上がります!実は私、4歳から高校生までサッカー少女で、当時は日本代表候補にも選んでもらえるくらい熱中したんです。なので、サッカーが大好きな私にとって、静岡は天国みたいなところ。いつかサッカー関係のお仕事もしたいなぁ、なんて考えています。

その時々に目の前にある仕事を全力でこなしてきたらこそ、今があるという松原さん。そんな今までの経験に静岡という土地がミックスされ、どんな仕事が生まれていくのでしょうか。今後の松原さんのご活躍が楽しみです!
(文=市田里実、写真=窪田司)

静岡初の学生専用シェアハウスとして、2015年にスタートした『コクーンベース』。現在は社会人の入居者も加わり、学生と社会人が交わるプラットフォームとしても機能しています。運営しているのは鈴木駿矢さん。東京からのUターン、そして住宅会社勤務とのパラレルワークということで、その働き方についてお話を聞いてみました。

将来像をイメージして移住

――コクーンベースの運営とサラリーマンとしての仕事。二足のわらじということですが、ずいぶんと忙しいのでは?

そうですね、サラリーマンとしては新築戸建て住宅の営業ですから、土日は基本出勤で水曜日がお休み。他に一日どこかで休む、という感じです。もともと「副業はどんどんやっていい」という会社なので、同僚や上司でも珍しくないですけどね。所属部署の専門性を活かして個人で不動産関係やデザイン関係の仕事をしている人もいます。給与に占める歩合給の割合が高いので、「給料が足りなければ自分で稼いでおいでよ」という社風ですね。

――なるほど。個人に裁量権のある素敵な会社ですね。もともとそちらの会社で働かれていたのでしょうか?

いえ、出身は静岡県裾野市で大学も静岡県立大学卒なんですが、卒業前から東京でインターンとして働いて、その会社にそのまま就職。インターン期間も含めて5年は県外で働いてから静岡に戻ってきました。

――それではUターン移住ですね。東京ではどんなお仕事を?

音楽フェスなどイベントの企画制作をやっている会社でした。働き方は夜遅いし朝は早い。イベントが集中する時期は40連勤したこともありましたね。平日はデスクワーク、土日はイベントの現場につきっきり。大きなイベントになると地方の現場に一週間詰めて、東京に戻ってきたら報告書の作成、次の週はまた別の現場に飛ぶ。ここだけ聞いたらすごくハードに感じられるかもですが、本当に“好きだからできる”仕事でしたね。

――ハードそうですが、やりがいもありそうですね。

そうなんです。この仕事は大好きでしたが、結婚して子どもができるとしたらこの生活は難しいなと思いました。僕は30歳までに結婚して子どもは二人ほしいと思っていたんですよ。決め手になったのは、日曜日に結婚式を挙げる予定で仕事の調整をしていると前日の土曜日にイベントの現場が入りそうになって…。「やっぱりいまのスタイルで続けるのは厳しい」と痛感しました。
あとは、東京の学校や幼稚園、保育園で子育てするのは無理だなと。園や学校の敷地はみんなフェンスで囲われていて、人工芝の上で遊んでいる。それと費用面ですよね。例えば、今の会社で扱っている一戸建てを東京で建てたら、予算は場所によっては6千万~1億を超えるでしょう。でも、静岡なら3~4千万。いったいこの差は何なんだろうと…。
前職を辞めようというときに、東京で声をかけてもらった会社もありました。給料も倍近く出すと。妻にも相談したんですけど、やっぱり年収はいくら上がっても東京でのこれからの生活はイメージできないという結論になりましたね。
でも、東京でやっていた仕事のヒリヒリするような独特なスリルは懐かしく思うことはありますけどね。

――どうしても東京じゃないとできない、という仕事はありますね。

ただ、やり方はあると思っています。音楽フェスを例にとると、フジロックは新潟県の苗場でやってますが、「新潟ローカルのイベント」という雰囲気はないじゃないですか。「すごく面白いことをやってる!」ということが、たまたま静岡で行われているっていう作り方にできればいいですね。
(さらに…)

やさしく、あたらしく、あなたらしくなれる社会を目指して、未来の地域社会がどうあるべきかを考え、行動するNPO法人ESUNE。未来志向の対話の場「フューチャーセンター」の運営支援をはじめ、静岡を舞台にさまざまな活動を行っています。代表の天野浩史さんは、根っからの静岡ラバーかと思いきや、実は静岡とのファーストコンタクトは意外なものでした。

来たくなかった静岡

――NPO法人の活動内容を拝見すると地域に密着している感じがしますが、静岡とのゆかりについて教えていただけますでしょうか?

はい。出身は愛知県岡崎市でして、静岡には2010年の静岡大学入学をしてからの関係になります。なので来年(2020年)で10年目になります。

――そうなんですね。てっきりご出身も静岡かと思っていました。静岡には自分で望んで来たということでしょうか?

それが、全然なんです。むしろ地元の方が好きでした(苦笑)。僕はもともと高校の物理の先生になりたくて、物理学科のある大学を受験していました。ですが名古屋大学の理学部は残念ながらダメで、後期試験で受けた静岡大学に入学した、というのが本当のところです。浪人も真剣に考えたんですが、地元が好きなので実家から通えるところを……と思って静岡大学に決めました。でも静岡大学の理学部は、岡崎に近い浜松にあると勘違いして、あとになって静岡市の方にあると知り、受験のときも親に車で送ってもらったりして大変でした。初めて来たときには、友だちもいないしすぐにでも帰りたかったくらいです。

――それが静岡との最初の関わりだったんですね。第一印象はいかがだったでしょうか。

最初はネガティブな気持ちでいっぱいでしたね。だいたい、静岡大学の場所も静岡市の中心からは遠いし(笑)。でもそんな感じで始まった大学生活ですが、先輩から誘われた棚田の保全サークルに入ったことで、考えが大きく変わりました。最初はサークルの人たちや地域の人たちとのふれあい自体が面白かったんですが、地域の人たちと関わっていくうちにまちづくりに興味を持つようになりました。
ちょうど大学2年の終わりのころですけど、「これからの人生、どうしようか」って真剣に考えたんですね。サークル、物理の研究、教員免許のための単位の取得と忙しい日々だったんですが、そこで「教員じゃなくてもいいんじゃないか?」ってはじめて思い始めたんです。

――教員免許のための単位って大変ですし、理系だと実験や研究も忙しいですしね。

そこで、「まちづくり」を仕事にできないかって考えたんです。それからいろんな場所に出かけて、いろんな人に会ったり話を聞いたりしました。Facebookもはじめて人脈も増えました。そこからだんだん面白くなってきて、3年生から4年生にかけては、もうすっかり教員よりまちづくりのほうに気持ちが行ってましたね。

――なるほど。なので現在は教員ではなくNPO法人の代表なのですね。

そうですね。ですがいきなりNPO法人の代表というわけではなく、地域課題に人手不足というのがあるのも知っていたので求人情報を扱っているメディアに就職して沼津に引っ越しました。そこから求人広告の営業を1年ちょっとやって、静岡市の企画部門に異動。ここではU・Iターンや採用に関する新規事業の立ち上げにかかわりました。求人広告って人と人をつなぐ仕事で、これは今にも活きていますね。

まちづくりと教育

――会社員から現在のNPO法人の代表になるまではどういった経緯だったのでしょうか?

平日は会社の仕事をやって、土日に棚田の保全活動を続けていました。これがけっこう大変で、ほかにも会社の仕事で週2回三河エリアに行っていた頃は、まちづくりのファシリテーターも同時にやっていて本当に忙しかったです。その時、将来のことを自分自身に落とし込んで、本当にやりたいことをやるために入社3年目の冬に退職しました。
そして、2017年にNPO法人を立ち上げて、地域での活動をスタートしました。ESUNEの設立は2013年ですが、法人化は2017年です。

――「まちづくり」というと華やかなイメージがありますが、実際にはいかがでしょうか?

実際には泥臭い地道な仕事が多いです。地域活動や社会課題解決を通じてお金を稼ぐことがいいのかどうか、という意見もあります。なので僕自身「東海若手起業塾」という支援プログラムに通ってビジネスとしてきちんとやっていくことを学び、2018年からそれを実行に移しています。例えば、企業の新人研修を受け入れるための教育プログラムを提供したり、日本平動物園にどうやって新しい顧客を呼び込むかという課題を、まちのプロジェクト化して市民から仲間を募ったりしました。
日本平動物園の事例では、「普段動物園に来ない層を高齢者と仮定して、どうしたら呼ぶことができるだろうか」と課題を設定して、仕組みを考える人を募集したら介護福祉系の企業で働いている方や学生から応募があって、そこから「ZOOリハビリ」という取り組みが誕生して仕事になったということもあります。
最近は、「無店舗型のワイン屋さんのアイディアを考えてくれる人」と募集して、社会人3人と静岡大学の学生3人が応募してきてくれて、社会人のうち一人が花屋さんだったので花屋さんとワインバーをコラボした「どこでもワインバー」という企画を実行したりしています。
会社勤めの人でも仕事帰りや休日に参加できたり、学生も気兼ねなく加わったり、とにかく、多彩な人が参加できる枠組みを作ってビジネスとしてのサイクルを回していきたいですね。


▲「ZOOリハビリ」の様子

――困りごとと人とをつなぐというのは、まさに求人メディアでの経験が生きていますね。まさに充実、という感じですが、最初は「来たくなかった」という、10年前の静岡の印象は変わりましたか?

今では、静岡以外で生きていくイメージを持てないくらい、静岡が好きになりました。地元の岡崎に帰ると、ちょっと違和感を覚えるくらい(笑)。静岡は、僕にとって人の顔が見える街なんです。大学で棚田保全やまちづくりを一緒にやった先輩や、同期のおかげで今がある、とはっきり感じます。静岡には僕が一緒にいたいと思う人、僕を必要としてくれる人がいる街。街があって僕がいる、そう思える街になりました。
ゆるいコミュニティがたくさんあるので、どんどん参加していくことで人と地域とつながっていける。一般的なコミュニティはどうしても囲い込む方向に行くことが多いですが、どんどん参加できる、これは静岡の美点だと思いますね。

――今後の目標を教えてください。

東京に大正大学という大学があるんですが、ここが4年前に「地域創生学部」を作りました。首都圏の大学に地域創生をうたった学部ができるのは、おそらく初めてじゃないでしょうか。昨年から大正大学の非常勤講師として関わることにもなったので、教える立場として地域に関わっています。さらに来年からは静岡大学の大学院で「地域と教育」をテーマに研究することにしています。地域を消費するのではなくて、教育との関わりでもう一度地域が紡がれていく。そういう取り組みをしたいですね。

最初は何の思い入れもなかった静岡が好きになり、いまでは静岡を舞台に県内外で活躍される天野さん。大学で教える立場もなされているということで、巡り巡って教員という立場から教育に関わるというのもどこか運命の巡り合わせのようです。思いを持って活動していると自ずと繋がっていくものなのかもしれません。
(文=深水央、写真=窪田司)

だれかに紹介したいお店…それは提供される商品の質はもちろん、中で関わっている“人”に魅力があるのではないか。そんな想いからこのシリーズではお店の中の人にフォーカスしつつ、お店を紹介していきます。

急展開の静岡移住

2017年11月、新静岡駅近くの閑静な住宅街にオープンした『CHA10(チャトウ)』。体に優しい新感覚のお茶とスイーツを楽しめるカフェとして、国内外のお客様でにぎわっています。キラキラと輝く明るい笑顔で接客する中野目則子さんは、東京から移住して、この店をひとりで経営・運営されています。大きな夢に向かって一歩ずつ前進する中野目さんのストーリーと合わせてお店を紹介していきます。

――スタイリッシュなカフェですね。

ありがとうございます。こちらはもともと静岡のカクニ茶藤という日本茶の製造や輸出を行う会社が、2017年11月にオープンした抹茶カフェです。カクニ茶藤の代表でもありグローバルに活躍される実業家・加藤さんの「ぜひ鷹匠で若い世代にお抹茶を伝えるカフェをオープンしたい」という思いから始まりました。

――では、中野目さんはその会社で働かれていたのでしょうか?

それが全く違うんですよ。このカフェを引き継ぐため、今年(2019年)6月に東京から静岡に移住してきたんです。

――そうだったんですね! それまでは別のお仕事をされていたんですね?

話せば長くなりますが(笑)、私は東京出身で、NECで会社員をしていました。その後、飲食業に興味を持ち、27歳でドトールコーヒーに転職して店長に。長く飲食業をしていると体が疲れるので、体のひずみ矯正や小顔セラピーなど美容系の資格を取るうち、食自体にも関心が向いてマクロビォティックを知りました。これなら体が続く限り飲食業ができると思い、東京・日比谷にあるカフェ『CHAYAマクロビカフェ』に電話して、スタッフを募集してないですかと聞き、採用してもらいました。これが14年前のことです。そこから横浜店、二子玉川店、日比谷店の店長を経験してきました。

――20代から長くドトールで働かれて、それからマクロビカフェで14年…そこから静岡という新天地でお店をはじめられたきっかけは何だったのでしょう?

『CHAYAマクロビカフェ』で日本のスーパーフードを扱い出して、そしてお抹茶に出会いました。マクロビもお抹茶も日本古来のものなのに、海外に出てから認められて、逆輸入してヒットしたんですよね。マクロビは丸ごととるのがコンセプトで、オーガニックにこだわったりと共通点が多いんです。
2年前の夏、ちょうど東京のCHAYAがお店のリニューアルで3か月休むとき、両社をつなぐ方から「カクニ茶藤さんが静岡でカフェをオープンするので、社長を紹介したい」と言われて、加藤さんに初めてお会いしました。「ここでお茶屋さんをやるんだけど、どうだろう?」と聞かれて、「ここでお茶だけで戦うのはかなり難しいのでは」と感想をお伝えしたことを覚えています。

――なるほど、カフェのプロとして意見を求められたのですね。

それから11月にオープンされて、飲食経験のない社員さんがされていたので、私はプライベートで遊びに行って、少しだけアドバイスみたいなことをしていました。社員さんは私がアドバイスしたことをちゃんとやってくれて、すごいなあと思っていました。
それが今年の初めに、カクニ茶藤さんの本業が忙しくてカフェをできないので、手放して誰かに譲りたいと話をされまして。実はオープンのときにも「やりませんか?」と声をかけられたけれど、私は東京人で東京に仕事があって、静岡は誰も知らないから難しいとお断りした経緯があったんです。でも再度「好きなようにやっていいから、継いでくれたらうれしい」と真剣にお誘いを受け、今年2月に「わかりました」とお引き受けすることにしました。そして、東京と静岡を行ったり来たりして5月に前の会社を退職し、6月に静岡へ移住してきて、6月26日にこちらをリニューアルオープンしました。

――まさかの急展開ですね。リニューアルで何か変えられたのですか?

店名と内装はそのまま、さらに私が今までやってきたマクロビを活かして、「体に優しいお茶とスイーツで、訪れるたびにアンチエイジングされてしまうカフェ」というコンセプトを掲げました。新しい感覚で、体に優しいお茶とスイーツを提案しています。

覚悟を決めて夢の続きへ

――お店をリニューアルオープンされて半年、いかがですか?

今はひとりでやっていて、お店は9時から17時まで開けています。東京では夜まで仕事をしていたけど、今は昼に働き、人としていいサイクルだなと。もともと11時から19時までだったのを2時間早めて、夜は他の方に貸してバーとして活用されているんですよ。
思っていたよりお客様がたくさん来てくださって、週末はいっぱいになるくらい。気軽な英会話の会なんかもやっています。でも、思っていた以上に大変かな(笑)。ドリンクとスイーツだけで店を経営していくこともですし、ひとりでやっていくことも難しくて、そろそろ人を入れたいなと。

――人気店に成長して、お一人で回すのは大変そうですね。どんなお客様が多いですか?

若い方をはじめ、食にこだわりのあるご家族、外国の方が多いですね。インスタを見て来てくれたアジアや欧米の方も。新しい感覚のお茶を求めて来てくださっているみたい。そんな方には、近くにある『chagama(チャガマ)』さんをご紹介するんですよ、素敵なお茶屋さんだから。静岡のお茶屋さんって、ライバルより共存という感じで、みんなで静岡のお茶をアピールしていきたいねというところがよくって、でも奥ゆかしくてアピールし切れていないのがもったいないとも感じます。

――東京から移住されて暮らしの面ではいかがでしょうか?

実はこの歳でシェアハウスに住んでいます。若い人が多いカフェだから、まずはシェアハウスに住んで静岡のいろいろな人とつながり意見を聞けたらなと思いまして。

――そうなんですね。シェアハウスだといろいろな情報が入ってきやすそうですね。住んでみて間もないかと思いますが、静岡にはどんな印象をお持ちですか?

下田の温泉にはたまに来ていたけど、まさか静岡に住むことになるなんて。住んでみたら、おいしいものも海も温泉も何でもそろっていて、とても好きになりましたね。東京は3倍速で、ときどき行くとエキサイティングでワクワクするけど、こっちにいると落ち着きます。あと静岡の人は穏やかで優しいなと感じます。

――ちなみに、中野目さんはカクニ茶藤の社員として転職されてカフェを運営されているされているのですか?

いえ、もう経営権をいただいて、オーナーという形です。皆さんに応援していただきながら。

――では本当に覚悟を決めてやられているという感じですね。

そうですね。毎日が充実していて、お客様に支えられているなと日々実感しています。へこみそうになっても、お客様が「静岡に来てくれてありがとう」「こんなカフェは今までなかったので本当にうれしい」と言ってくださって、私のやっていることは意味があるんだとすごく励みになります。

――素敵ですねー。今後の構想を聞かせてください。

まずはマクロビのランチを11月中に始めて、物販を今の倍くらいに増やし、静岡のお茶を広くアピールするために通販もやっていきたいと思っています。豆乳ラテのスティックも作ってみたいです。
大きな夢としては、もともと前のCHAYAにいた新人の頃から、体に優しいレストランを全国展開したいという思いがあり、CHAYAは卒業したけれど、ここでも夢が続いている感じです。私、中学ぐらいから健康オタクで、CHAYAに出会ったとき、こういうお店を広めていきたいと思ったんですよね。会社で社長と夢を語る機会にも「全国展開したい」と言い続けてきて、もう14年。だから、静岡で自分のお店を持つことができて幸せなんですよ。静岡の方は財布のひもが固いらしく、静岡でうまくいけば全国どこでも成功する、お店を6か月続けられたら認められた証拠と言われていて、もうすぐ6か月経ちます。これからも夢に向かって一歩ずつ進んでいきます。

急な展開でお店を運営することになった中野目さんですが、その決断の奥には意図せず昔の夢に通じていくものがあったのではないかと思います。まずは静岡の地で地固めをしつつ、全国展開されて日を楽しみにしていたいと思います。
(文=佐々木恵美、写真=窪田司)

【CHA10】
https://cha10.jp/
静岡県静岡市葵区鷹匠1-11-6
TEL:054-204-2210
営業時間:9時〜17時
定休日:火曜日